サントリー山崎蒸溜所
(大阪府三島郡)
2007.11.15

日本のウイスキー発祥の地
サントリーの創業者・鳥井 信治郎が、京都郊外・天王山のふもと「水生野(みなせの)」と呼ばれた名水の地「山崎」に1923年、日本最初のウイスキー蒸溜所を建設しました。
今回は、その工場を見学させてもらうことにしました。
工場入り口・・
向かって左側に受付があります。この道路をはさんで両側に工場があるのですが、
この道路は公道ですので、一般の車が往来します。そして突き当たりにみえるのが、
右の写真です
↑鳥居がある椎尾神社(しいおじんじゃ)です。
ウインターコスモス
2段の写真は、2008.11.30二回目の工場見学の分です。


では、工場見学に出発です。(実際に製造されている工場です)

工場にはいると、なんともいえないウイスキーの香りがしてきました。
仕込み槽 発酵槽
蒸溜室
もろみはアルコール分が約7%。これを2回に分けて蒸溜すると、
次第にアルコール度数が上がり、香り高くなっていきます。
蒸溜釜は銅 製のポットスチル。釜の形によって香りや味わいが微妙に変わるので、
それぞれの蒸溜釜ごとにユニークな形をしていました。
蒸溜したばかりのウイスキー原酒は「ニューポット」と呼ばれ、無色透明の液体です。
これをホワイトオー クの樽に詰めて、貯蔵庫で熟成させると、
次第にまろやかな琥珀色のウイスキーへと変化 していくそうです。
背の高い釜、少し太っちょの釜などいろんな形の蒸溜釜が並んでいました。
世界でも稀なんですって!
日本人に合うウイスキーつくりを目指して研究を重ねた結果、
このような技術があみだされたそうですよ。
↑蒸溜したばかりのウイスキー原酒を検査中。
できたては、無色透明でした。
樽詰め機
ニューポットを樽に詰めていますが、毎日行なわれないそうで、
今回見られたのは、ちょっとラッキー。
↑薄暗い貯蔵室には、沢山の樽が眠っていました。
ここには空調や換気などの装置は一切無く、温度も自然のままだそうです。
ですので、その年の自然の条件により、
また、樽の置かれている場所などにより、微妙に味が違ってくるそうですよ。
右は、4年熟成した樽の内部、左は12年熟成ものです。
色も量もかなり変化しているのが、わかります。
若いと硬く、年数を重ねるとまろやかな味になるそうですが、味は好みですね。
だた、年数を重ねると、量も少なくなり、その分値段が高くなるそうです。

樽の大きさもいろいろ
←1923年に日本最初のウイスキー蒸溜所を、この山崎の地に建設して、
初めてできた記念の樽です。1924年製
椎尾神社(しいおじんじゃ)」
工場を見学して、試飲会場へ行く道の途中にありました。
奈良時代の僧侶、行基(ぎょうき)が建立。鎌倉時代には
後鳥羽上皇がしばしば行幸する程の名高いお寺でしたが、
長い歴史の中で次第に衰退してしまったそうですよ。
でも、サントリーの工場ができてから、
椎尾神社の鳥居をモデルにデザインされた「ローヤル12年」(栓の形)が製造されたりして、
サントリーとの縁が深くなったようです。
↑貯蔵庫から出ると、天王山からの名水が湧き出る小さな池がありました。
山崎は、水瀬野(みなせの)と呼ばれ、万葉人が清流を歌に詠み、
中世の王朝人は離宮(別荘)に集まって狩りや詩歌管弦に興じ たところでした。
また、千利休も、この山崎の名水でお茶を点てたことがあるとか・・
試飲会場 シングルモルトウイスキー山崎12年、シングルモルトウイスキー白州12年と
山崎のお水を試飲させていただきました。お酒のことは、
よくわからない私ですが、白州のほうが、
ややスモーキーな感じで、
コクが
深いかな?
あんまり飲むと、酔いが回って、真っ赤な顔になってしまうので、
ほんの少しだけいただきました。

右のボトルは、サントリー山崎蒸溜所シングルモルトウイスキー
山崎蒸溜所のみ販売のオリジナル商品)です
一口メモ
モルト・ウイスキー・・・大麦麦芽(モルト)だけでつくられるウイスキー。2条大麦の麦芽を糖化、発酵させ、単式蒸溜機(ポット・スチル)で蒸溜したのち、
樽貯蔵によって長期熟成したもの。
シングルモルト・ウイスキー・・・モルト・ウイスキーのうち、同一蒸溜所のモルト・ウイスキーだけを使った製品のこと。蒸溜所の個性がはっきり現われ、
個性豊かなウイスキーとなります。


ウイスキーは原料と製法の違いで大きく2つに分類されます。大麦麦芽(モルト)だけを原料とする「モルトウイスキー」と麦芽以外の穀物を主原料とする「グレーンウイスキー」です。
山崎ウイスキー館

サントリーウイスキーの歴史がわかるウイスキー館、
オリジナルグッズの揃うファクトリーショップもあり、みどころがいっぱいです

寿屋(現サントリー)の創業者、鳥井信治郎が、日本で初めて本格的なウイスキーの製造に乗り出し、モルトウイスキーの蒸溜所を建設したのは1923年。
そこは、京都にほど近い天王山の麓、桂川、木津川、宇治川が合流し、三川の水温の違いから絶えず霧の湧く地。
そして平野と盆地に挟まれた独特の地形と湿潤な気候。豊かな風土、気候そして水に囲まれた「山崎」は、
日本のウイスキーづくりに欠かせない要素が整った、まさに理想郷でありました。
ニッカウヰスキーを創業した竹鶴政孝もここで働いていました。
しかし製法上の意見の食い違いから、竹鶴は 寿屋(現サントリー)の山崎蒸溜所を退社して、北海道余市に新しいウイスキーの理想 郷を目指したそうです。

大阪府三島郡島本町山崎5-2-1

JR山崎駅より徒歩10分
大山崎山荘から、歩いて15分くらいで到着しました。
予約もなしでしたが、ちょうど空きがあり、5分も待たないで工場見学に出発です。
工場見学は、試飲も含めて約一時間くらいです。
とても清潔な工場で、案内の女性も素敵な方でしたし、しかも無料!!
ウイスキーは、製造された年月、場所、樽の種類や貯蔵場所などにより、微妙な味の変化があるらしく、とても繊細な飲み物だとおもいました。
(休日や沢山で行かれるときは、予約をしておいた方が、よさそうですよ。)


アサヒビール 大山崎山荘美術館
(京都府乙訓郡大山崎町)
企画展 ”河井寛次郎  炎の造形”
陶芸家・河井寛次郎(1890-1966)は、島根県で生まれ、京都市立陶磁器試験場で各種釉薬を研究した後、大正9年、五条坂に居を構え、76歳で亡くなるまでこの家で作品を作り続けました。 
中国朝鮮の古陶磁の手法に基づいた 精緻な作品の制作で一躍有名になりました。
1924年イギリスから帰国した濱田庄司と柳宗悦との交友の中で 民藝理論に深く共感するようになり、重厚で変化に富んだ形を持つ作風に一変します。
1926年(大正15年)には「日本民藝美術館設立趣意書」 の起草に加わって民藝運動を推進するひとりとなります。
骨太な作品、それに例えば手に顔が付いていたり、顔の表情もとてもユニークで、あたたかみにある作品でした。
京都の五条坂に河井寛次郎記念館があります。


大山崎山荘美術館・・・詳しくは、2年前に行ったときのページを見てくださ〜い

  小さな旅  食べもののふるさとを探して

2007.11.15