| 近江商人のふるさと 日野町 (滋賀県蒲生郡日野町) |
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| ”桟敷窓アート” 2008.10.19 |
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| 地元工芸作家の作品の展示と販売、製作体験や曳山の展示など、文化祭のような感じでした。 | |
| ↑桟敷窓より外を見ると、向かいの柿の木が、額縁にはめられた絵のようでした。 | |
| ↑桟敷窓・・・日野祭りを見物するためだけに、作られたそうです。風流ですねえ。 | |
| ↑日野祭りの曳山・・・150年〜200年の歴史があるそうですよ。 今日は、特別に披露されていました。 |
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| ↑日野まちかど”感応館”(観光協会) | ↑大地堂のパン 小麦も自分たちで育て、石臼で少量ずつ製粉しているパン屋さんです。 |
| ↑鯛そうめん弁当・・800円 近江日野商人がもっとも楽しみにしていたのが日野祭り。 年に一度、全国のお店(たな)から帰郷し、そのときの祭りのご馳走が 「鯛そうめん」だったそうです。 当時は、祭りととに、新鮮な鯛を使った贅沢なそうめんは、 ものすごく楽しみなことだったのでしょうね。 どんな器で、どんな盛り付けをしていたのでしょうか? そんなことを考えながら、おいしい味付けの”鯛そうめん”をいただきました。 |
↑大地堂さんでライ麦ブロ−トと全粒粉のシンプルパンを購入
石臼で少量ずつ製粉すると、、発熱が抑えられ、品質が劣化しないそうです。 どちらも、7,8センチ角で、厚みが5センチくらいの小さなパンですが、 一個250円でした。 ちょっと高いなあと思いつつ、翌朝に食べてみたら、 中身がぎっしり詰まった、味わい深いパンでした。 (鎌倉で食べたドイツパンを思い出しました) |
| 日野菜(かぶらの仲間)一把100円 日野菜漬けに挑戦! 葉っぱは、少しあくがあるので、お湯をかけるといいそうです。 塩漬けか甘酢漬け。 |
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| 馬見岡綿向神社(うまみおかわたむきじんじゃ) | |
| もとは、綿向山(1110m)の頂上に鎮座していましたが、蒲生氏が城下町を開いてから現在地に移されました。 日野祭りは、この神社の春の例祭です。 |
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| ←伝若松の森跡 戦国の英雄、蒲生氏郷が幼少の頃遊んだとされる若松の森。 氏郷の転封先である会津黒川は、この森の名前をとり、 会津若松(現・福島県会津若松市)となったそうです。 へええ〜会津若松の名前は、ここが発祥の地だったとは!! |
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| ↑こんなところにも、旧型のポストがありました。 結構、あるもんだなあ。 |
↑大聖寺 |
桟敷窓アートに来るきっかけとなったのは、世話役の中田さんから、以前お誘いのメールをいだだいたからなんですよ。 (ありがとうございます) その中でも、”鯛そうめん”という言葉にひかれて・・・ 今日は、もうこれ以上の秋晴れはないというくらい いいお天気で、汗ばむほどでした。 10時過ぎころ到着したのですが、観光協会の前の駐車場はすでに満車でした。 でも、すぐ近くの臨時の駐車場に停めることができました。 徐々に人出も多くなり、さあ、お腹も空いたし、鯛そうめん弁当を買おうかなと思ったら、 売り切れ状態で、次のができあがるまで、だいぶ時間がかかりそうでした。 なんとか、都合をつけていただき、お目当ての”鯛そうめん”をゲット。 外で、食べるのが気持ちよく、おいしくいただきました。 藍染め、木工細工、絵手紙、それに水墨画などなど、力作揃いでした。 お庭も開放されていたり、休憩するところもいっぱいあり、街の人たちも、親切で、アットホームな感じでした。 旧家では、かつての日野商人の繁栄をうかがい知ることができ、つつましさの中にも力強さが感じられました。 2008.10.19 |
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2007.6.10 |
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↑近江日野商人館 |
↑日野商人像(日野小学校内) 一般に近江の国出身の商人を総称して「近江商人」といいます。 その中でも蒲生郡、神崎郡、愛知郡など 、いわゆる湖東地方からは数多くの名商・豪商が現われました。 領主蒲生家の国替えで活気をなくした日野。 生活の活路を見出すため、行商に出るようになった人々は、近江商人の中にあって、 特に「日野商人」と呼ばれるようになりました。 というのも、ほかの近江商人とは異なり、「千両たまれば新しい店を出す」という 小型店経営に主流を置き、非常に多くの店を大都市はもちろん、 関東一円の地方都市や田舎にまで出したことや、 醸造業を営むものが多かったこと、「万病感応丸」と呼ばれる 漢方薬の製造販売を行うなどの独自の商いを行っていたためです。 |
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| ↑日野まちかど”感応館”(観光協会) 萬病感応丸を造りだした正野玄三の薬店だったところです。 正徳二年(1712)に正野玄三が造り出した萬病感応丸は 日野を代表する薬となって全国に広められました。 (無料休憩所) 近江鉄道日野駅から北畑口行バス大窪(停)下車。徒歩5分 |
↑日野椀 天文2年(1533年)城主・蒲生定秀が日野城下町をつくった時、 綿向山下に散在していた木地師や塗師を集めて、塗師町・堅地町を設け 「日野椀」の生産を始めました 塗師屋仲間の記録によると、蒲生家の城があった頃は、日野椀作りが盛んで、 町の7〜8分の人がこの仕事で生活したと書かれています。 桃山時代茶人として有名な千利休が『日野椀を十具調えて欲しい』と注文しています。 このことからも、当時の茶人がもとめるほど優れた 日野椀が作られていたことがわかります |
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←塗師安 日野椀の塗師だった家。今は残念なことに、生産されていませんが、 2001年より、日野町の地元の有志があつまり、『日野椀復興の会』が結成され 日野椀の復興に取り組んでいるそうです。 |
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| ↑新町の町並み・・・桟敷窓(日野祭り見物用に作られたそうです) | ↑清水町の町並み |
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| ↑保地町・・・1615年より煙管が製造されたところです。 | 散策していて、気がついたのですが、所々の板塀や雨戸に朱色が施され、 独特の雰囲気を醸し出していました。 日野椀に使ったベンガラなのでしょうか? 以前行った岡山県の吹屋ふるさと村のベンガラを思い出した。 |
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| ↑曳山モニュメント 日野祭(5月2.3日)豪華に飾られた三基の神輿と十数基の曳き山が祭囃子に会わせて 繰り出し、馬見岡綿向神社へと向います。 湖東地方を代表する春祭りで、県の無形民俗文化財に指定されています |
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| ↑若草清水 千利休七哲のひとり蒲生氏郷が、茶の湯にこの水を使ったと言われています。 |
↑鞍子の辻 馬の鞍をつくる職人が住んでいました。 |
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| ↑信楽院(しんぎょういん) 蒲生家の菩提寺 |
↑西円寺・・・本堂の屋根を修復中 |
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←蒲生氏郷公像 町の繁栄の基礎を築いた蒲生氏は400年以上この地を治め、 商工業の保護・育成に努力し、 鉄砲や鞍などを特産品として生み出してきました。 その蒲生一族の中で、いまも日野の人々の心に生きているのが蒲生氏郷公であります。 信長の娘冬姫を妻とし、 その後秀吉に従った氏郷は産業政策においても秀でており、 日野に楽市楽座を開きました。 その後松阪12万石、会津92万石の藩主となりました。 |
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| ↑近江鉄道日野駅と電車 | ↑車窓からの景色・・・麦秋の季節ですね。 黄金色に輝く麦畑はそろそろ収穫の時期です。 麦秋・・・麦が収穫期を迎えて黄金色に稔るという意味がある一方で、 初夏の訪れを指した季語。 「秋」という言葉に「収穫」の意味を重ねています。 |
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やっぱり最後は、食べもので締めくくりましょう。 ←日野菜漬け 文字通り滋賀県の日野町が発祥地で、五百年以上も前に石楠花谷(鎌掛)で 蒲生貞秀(戦国の武将蒲生氏郷の先祖)によって見いだされ,栽培されてきました。 日野は近江商人の町ということもあり、漬物も全国に広がっていきました。 細い大根のような円筒形の形をしています。 根の地表部は紫紅色で、地下部は白色という綺麗な野菜です。 根の部分は、25〜30センチくらい。直径2〜3cmと細長い。 旬は秋から冬にかけて。 かぶらの仲間・・原産地は世界遺産バーミヤン渓谷のあるアフガニスタンあたりか、 これに地中海沿岸の南ヨーロッパを加えた地域 |
| この地に人が住み始めたのは古く、今から約1万2千年前と言われています。 旧石器時代の終わりから縄文時代の始めころ狩猟や採集生活を、さらに弥生時代には稲作も始められていた記録があり、 飛鳥時代には、百済の文化が持ち込まれました。 鎌倉時代から平安時代にかけて日野を支配していたのが蒲生氏です。 現在の日野の中心市街は、大永3年(1513)蒲生氏が中野城(日野城)を築き、蒲生定秀が天文年間(1532〜1554)初頭に町割をしたと伝えられています。 当時は、鞍や鉄砲の製造で知られていました。 また、日野の特産品となっている日野菜は定秀の祖父にあたる蒲生貞秀の時に発見されたものです。(日野町観光情報HPより) 散策マップも読みやすく、駐車場もあちらこちらにあり(しかも、無料です)、観光客には、親切な街作りをされているようですが、 日曜日なのに、肝心の観光客をあまり見かけることがなく、静かでした。 お陰で、ゆったりとした時間を過ごせました。 |
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小さな旅
2007.6.10