八丁味噌のふるさと
カクキュー
(愛知県岡崎市)
岡崎城から八丁(約870m)離れていたことからその名がついた八丁村。
そこで造られていた味噌なので「八丁味噌」と呼ぶようになりました。
カクキュー八丁味噌』本社事務所(国の登録文化財)
愛知県岡崎市八帖町字往還通69番地

八丁味噌は、徳川家康に代表される三河武士も兵糧として持ち歩いた、固くて色の黒い濃厚な豆味噌。
その名は、岡崎城から西へ向かって八丁(約870m)、矢作川と東海道が交差する八丁村で盛んに造られたことにちなんでおります。 
『カクキュー八丁味噌』は、今からおよそ360年前の正保2年(1645)に創業した、八丁味噌の老舗です。

↓さあ、これから工場見学です。
係りの人に案内してもらって、約30分間工場を見学させてもらいます
本社事務所の裏側です。
今でも、事務所として使っているそうです。(白と黒の斬新な建物ですね。)
↑工場の中にポストが設置されていました。いまでも、使用されています
八丁味噌蔵
蔵の下の石垣は、水害などから味噌を守るためのものだそうです。
↑史料館にある昔の看板
木桶
一度に1600貫(6t)もの味噌を仕込む巨大な杉の木桶。
新しいもので昭和初期から、古いものは天保年間(1830〜44)から、
補修しながら、大事に使い続けられているそうです。
(大きいですよ。)
味噌蔵内部
味噌蔵に入ると、、お味噌の香りがほのかに香ってきます。
夏場でもクーラーを使わず、冬場でも暖房を使わない、まったく自然の状態で熟成しています。
桶の上で山をなす重石は、矢作川の河原の転石。これも八丁味噌にはなくてはならない重要なもので、
職人が、地震があっても崩れないほどしっかり積めるようになるまで、5年はかかるといいます。
一つの桶には、大豆6トン 石3トン 。二夏二冬以上じっくり熟成させます。

↑使用済みの樽ですが、きれいに味噌を洗い流していなくて、
まだ、内側に味噌が付いてました。
完全に味噌と取ってしまうと、樽が乾燥しすぎるので、わざとつけてあるそうですよ。
八丁味は、蒸した大豆を味噌玉にし、それを豆麹にして水と食塩で仕込み、
そして二夏二冬以上天然醸造させます。永く仕込み置くため色も濃く固いので、
辛口と思われますが、塩味はひかえめです。植物性不飽和脂肪酸も多く含まれ、
また大豆蛋白質も良くアミノ酸に分解されており、消化吸収の良い栄養食品です。
また、食品添加物は一切使用していませんし、加熱処理もしていませんので、
生きた自然食品と言えます。

味噌は色で分けて、赤味噌と白味噌、原料別に豆味噌、米味噌、麦味噌、
それに調合味噌とに分けられます。白味噌は大豆処理の際に煮るのに対して、
赤味噌は蒸します。
高圧で蒸すと大豆は赤褐色になるのですが栄養分が逃げないという利点があります。
次に原料別では大豆に麹をつけた豆麹のみで仕込む豆味噌と大豆には麹をつけず、
米や麦に麹をつけて米糀、麦糀とし、大豆と仕込んだ米味噌、麦味噌に分けられます。
(カクキューのHPより)


最後は試食コーナー
八丁味噌と赤だし、2種類の味噌で作った味噌汁の飲み比べと、
味噌たっぷりの田楽こんにゃくをいただきました。
飲み比べてみると、八丁味噌の方が深くてうまみがあり、実においしいかったです。

今まで、正直、八丁味噌と赤だしの区別がよくわからなかったんですけどね。

工場見学はもちろん無料で、しかも赤出し味噌(200グラム)のお土産付きでした。
私たちが、終わった後も、次から次へと見学者が絶えまなく、訪れていました。
バスも
停められる大きな駐車場もあり、ゆっくりできますよ。
↑お土産にいただいた”赤出汁味噌”(200グラム)
赤出し
という言葉の意味は、味噌を布きんで包み、
だし汁の入った鍋のなかで溶かし出して
、吸い物に仕立てた際に、八丁味噌などの豆味噌と
甘口の白味噌を合わせて用いたので、
赤茶の色が布きんから出る、つまり〈赤出し〉又は〈三州仕立〉と
言われるようになったといわれています。
 赤出し味噌は、八丁味噌に米味噌を加えて調味した調合味噌です。
使用法が簡単で、時代の嗜好に合い、
しかも八丁味噌の味、香、色沢を保った便利な漉味噌を
…という考えから、昭和31年頃から研究に着手し、
翌32年12月、〈赤出し味噌〉の名で関西方面へ出荷したのが始まりです。

  
↑味噌ソフトクリーム300円
味噌ソフトって聞いただけで、ちょっと、ひいてしまいますが、
味はクリーミーで、チーズのようなコクのある味でした。
味噌の味も少ししましたが、おいしかったですよ。
印象に残っているのは、
長野県の大王わさび農園のわさびソフトや、
高知県安芸市の焼きなすやピーマンアイスもなつかしいなあ。
八丁味噌を使った料理を食べることができる
「味噌処休右衛門」で食べた”味噌煮込みうどん”(650円)
煮込むまで、約5分。あつあつで、鶏肉も入っていて、ああ、おいしかった。
  
↑八丁蔵通り味噌蔵のたち並ぶ狭い路地には、昔の風情が残っています。
カクキューさんや
この通り一帯で、NHKの連続テレビ小説”純情きらり”の
ロケが
おこなわれたそうです。
↑”まるや八丁味噌”
ここの工場も見学できるそうです


帰りに名古屋に寄りましたが、時間がおそくなるので、駆け足になってしまいました。
今度は、ゆっくり訪れたいなあ。

名古屋城

1612年(慶長17年)、徳川家康の子義直の居城として築城。
戦災で焼失したが1959年(昭和34年)、金のシャチをいただく
五層の大天守閣(48m)と小天守閣(24m)が再建されました。
明治維新までの約250年間、徳川御三家の筆頭である
尾張徳川家の居城として栄えました。

愛知県名古屋市中区本丸1-1
市役所・・・なんだかお城チックですね。 御園座(みそのざ)
歌舞伎や芝居をはじめ一流俳優の公演が行われる大劇場。
1896年(明治29)創立と歴史は古く格式も高い

名古屋から滋賀県まで、車のナビで、一般道の最短距離で検索した道路を通ってきましたが、
途中から、すごいカーブの上り坂、これって国道だよね。
狭くてくねくねと、いったい、いつまで、続くのかと山の中を走っていると、突然ブロックの関門が・・・驚き!!
ええっ、こんな狭い間を通るぬけるの??三重県側と滋賀県側の二箇所にありました。

途中トンネル工事もあり、トンネルが完成したら、この関門も通ることがなくなるのかもしれませんね。
話の種に、一度、見ておくのもいいかもね。


東近江から鈴鹿山脈を越えて伊勢の桑名に到る道を
八風街道」(はっぷうかいどう)(国道421号線)といいます。
 びわ湖のほとり近江八幡を起点に
八日市・永源寺をとおって鈴鹿の山をこえてゆきます。

近江商人は、八風峠を越えて桑名や伊勢にきて麻の苧(オ)、
紙、木綿、塩、若布(ワカメ)、
魚類などの東海地方の産物を仕入れ、近江や京都で販売したそうです。

石槫峠(いしぐれとうげ)
滋賀・三重県境。むこうは三重県大安町です。
こちらは、滋賀県東近江市。永源寺ダムまで30分。

ブロックの関門が!せまーい!
はば2・1m。
2t車がとおれないようにしてあるんですって。
滋賀県側、最後の集落 杠葉尾(ゆずりお)です。
杠葉尾(ゆずりお)から左折した地点から三重県大安町までは
冬期は閉鎖されます。

↑永源寺ダム

  小さな旅  食べもののふるさとを探して

2007.7.1